hotcafe ほっぺた館 |
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普段は広々している平和公園に、式典会場が整備されると随分狭く感じた。平和祈念像も、普段はドでかい印象だが小さく見えた。たくさんの人を迎えるには、こんな風に準備するんだなと開会前の様子を見て、爆心地公園へ移動。11:02の黙祷の後、市民グループの人間の鎖の輪に加わった。 テレビで見る限り、式典の時間には平和公園に皆が集まっているのかと勘違いしてしまう。でも当日は学校も登校日で、同時にあちこちで多彩な催しが行われ、町の人達はそれぞれの場所で黙祷をしているんだということが分かった。 地元の人からしたら、式典会場に皆が入れる訳ないし、当たり前じゃないか!?学校が登校日ということさえ知らないなんてショック!・・・ということが現地に行って私もやっと分かった。ごめんなさい。 やはり想いと知識の距離が現実にあり、でも、足を踏み入れ同じ空気を吸ったら、もう他人事ではいられなくなる。知らないから全て他人事に感じてしまうだけだ。そして、縁がないと思っていた頃から実は繋がっていたのかもしれないと、後から気づく機会がなぜか多くなってきたりする。人との縁もしかりで、実に不思議で面白い。縁は異なもの味なもの・・・って、こういうこと?あ、これは男女の縁のことか。 午後はピースバスに乗り、三菱の軍艦造船工場や魚雷発射試験場などを見に行った。世界に開かれた港町の三菱長崎は、昔から現在も、軍艦や魚雷を作っているそうだ。 それも、製鉄所を明治の時代に、かの岩崎弥太郎が二束三文で買い取り三菱を作り、軍事産業で儲けていったようだ。 「三菱があるから原爆が投下された」と言ってくれるな・・と会社の人は歎くらしいが、復興後現在も続く事実は隠しようもなく、被爆都市長崎の苦悩を感じた。 魚雷発射試験場は静かな入江で、脇にキャンプ場もある。私達が訪れた時も、若い子達が木の桟橋でのんびり釣りをしていた。こ、こ、こんな所で?と驚くが、その魚雷を製造しているのは、少し離れた諫早の団地内の工場というから、もっと驚く。 バスから降りた私達を、門の向こうから工場の人達がデジカメで即座に撮影していた。ただ見てるだけなのにぃ? 山の斜面に大きな穴が開いていたから、誰かが「あれは何ですか?」と聞いたら「答えられない!」とうるさそうに手を振る。よく見たら、昔使われていた鉄道かトロッコ?の通るただのトンネルだったが、なぜそんなことくらい教えてくれないのか?余計に怪しいじゃないか!明らかに、態度がおかしい。やましい隠し事をしている人間の態度だー!ともし口に出したら、工場の人達は今にも変な武器を向けて来そうな、完全に敵を見る目つきをしている。おいおい!私達は同じ国民ではないか?ヤダなー、この嫌な雰囲気。戦時中みたいだ!日本は平和じゃなかったの??やっぱり戦争てのは、むやみに殺気立つ行為で、敵も味方もないんじゃないか。 案内してくれたのは、平和運動しながら定年まで三菱で勤めあげたという方で、社内で嫌がらせなどされたんじゃなかろうか。堂々としていてかっこいいなぁ!と思った。 稲佐山山頂にも登ったが、霧で笑っちゃうほど真っ白!長崎の激動の歴史を聴かせていただき、山を降りた。 最後に、今年見学可能になった赤迫の三菱兵器住吉トンネル工場跡を見に行った。 朝鮮の人達、約8百人〜千人が手作業で掘削従事させられてたというトンネル。人々の悲鳴が聴こえてくる気がした。被爆後は救護所ともなったらしく、トンネル内で亡くなった人もいたという。手を合わせ、そして帰京した。 長崎のことも忘れないで下さい!3年前のある人の言葉が耳に残っているが、忘れる以前に私は長崎のことをつくづく知らないのだと、実感した。ともかく、長崎とはこれから真の付き合いが始まるのかもしれん。(Y) #
by mokelembembe
| 2010-08-24 12:33
8/8はイベントが目白押しの長崎!午前中は、山川剛さんの講演を聴き、世界には軍隊のない国や、百年も二百年も戦争をしない国が幾つもあることを知る。アイヌ民族を急激に支配し始めた明治時代の幕開けから、日本も軍国の歴史を歩んできたけど、私自身一国民として、また地球市民として、別な発想に変えたかったから、これからは戦わない国に注目してみたいと思う。 午後は船に載せてもらった。解説つきで、解りやすかった。三菱の造船所は、自衛隊の護衛艦の整備が、いわばお得意様だそうだ。この日も一隻停まっていた。ものものしい・・日本は平和な国と思っていたけど、こういう船を見ていると、今にもミサイルが飛んで来そうだ。戦いを呼ぶ船に見えた。 負の遺産・軍艦島は、高島と並んで、かつて強制連行した中国や朝鮮、アジアの人々をろくな食事も与えず働かせ、殺した鬼ヶ島だそうだ。戦後一時は豊かな炭鉱として夢を見た労働者の島でもあるらしいが、今は崩れ落ちそうなゴミの無人島であり、ただの不気味な幽霊島でしかない。 あまりの重労働の辛さから、すぐ手の届きそうな半島に渡ろうと、海に飛び込んだ人達がたくさん亡くなったそうだ。 島と半島の間は、ちょうど潮流がぶつかる場所で、絶対に人間が泳いで渡ることは不可能だそうだ。だから、島に連れて行かれた人達は、長崎の港で船に乗る時点で「生きて帰れない」と覚悟したそうだ。 また、行き先も告げられず連れて来られ、奴隷にされて亡くなったたくさんの人達。そういう事実を隠そうとして、謝罪することさえ拒む人達が日本にたくさんいる。 まったく困った日本。困った私達。困った世界。・・・ でも、この広い海のどこかには、無駄遣いの軍事費などなしで暮らしてる賢い国々があるんだな。何が違うのだろう。行ってみたいなと想いを馳せた。(Y) #
by mokelembembe
| 2010-08-14 16:43
公演から一ヶ月経たぬうちに、思い立って再び長崎へ行った。 昨秋から数えてこれで5回目の長崎だが、また美味しいもの発見! 長崎駅お土産売り場端にあるかまぼこの「まるなか」に、「ちゃんぽん揚げ」なるものが! ちょうど小腹が空いてたところで一枚買ってみると、なんと!ちゃんぽんの具がさつま揚げに練り込まれている。麺までが刻まれて入ってるのだが、絶妙!! 「まるなか」のお店はあちこちにあるけど、ちゃんぽん揚げは駅前でしか見なかった。 もう一つは夕月カレー! 漫画家の西岡さんに連れて行って貰った。何やら紅くてキレイ。ライスを囲むルーが、月みたいだから?のネーミングだが、辛そうだなあ・・・と思いきやっ、マイルド〜。やさしい味で、ほっこり〜。私はオムカレーを注文したから、玉子が更にマイルド感をアップさせてくれた。 長崎出身の有名人は、よく紹介するカレーらしい。知らなかった。 8月8日は催しが目白押しで、色々報告したいが、まずは夕方の平和公園に並ぶ子供達が作ったキャンドルから。 先月、公演の翌日に江平中学校で演劇ワークショップをやった時、ちょうどキャンドルを作ったり歌の練習をしていた。 ひとつひとつに願いが書き込まれていて美しかった。 長崎の子供達は、素直で心も美しい。現代社会の中で、もしや希望の星かもね!?本気でそう思う。(Y) #
by mokelembembe
| 2010-08-12 00:19
東京・都電荒川線での追加公演は、まるであの日のような青空の下で行われた。当初は長崎で千秋楽を迎える予定だったが、ありがたいことに5月の段階で4回公演が満席となり、東京は追加が必要ということになったのだ。 全国各地で電車の大きさや、乗車時間の違い、発着の電停の状況など様々な違いに試行錯誤を繰り返してきた旅の終わりに、ホームグラウンドとも言える都電での公演となり、なんだかホッとするね!などと言いながら早稲田でお客様を迎えた。 ところが!そんなホッコリした感情もつかの間、電車が走り始めてから次第に暑くなってきた。役者は全員汗ダク。お立見満席のお客様方も皆ハンカチで扇いだり顔を拭いたりしている。一体何なんだ?走り出す前は確かにクーラーはかかっていたし、上演中も作動する音はしている。何でこんなに暑いんだ!? 熱演の役者は次第に意識が朦朧とし、セリフが危うくなるのを必死につなぎ止めた。この数ヶ月、せっかく5人で作りあげてきた『桃の実』を最後に台なしにしてたまるもんか! 「忘れんとってー!」 電車を降りた時のさわやかな風が、最高に心地よかった。 何とかやり遂げ三ノ輪橋で聴いた話では、途中電車のヒューズが飛んでクーラーが効かなくなったとのこと。 お客様が運転手さんに尋ねたらしいが、皆口々に「でも、あの暑さが原爆の地獄を更に感じさせてくれたかも・・」このセリフ、どこかで聴いたような・・・ あ!札幌だ!!クーラーのない札幌で、異常気象の暑さを体験したのだった。その時のお客様の感想が、まったく同じだったのだ! 見えない力が存在することを、今回の旅でもたくさん感じた。しっかり伝えておくれよ!というメッセージをビンビン感じながら、私達はちゃんと伝えられているのか?不安と格闘の旅だった。 旅が終わった後も、新聞やラジオで伝えようとする方々の取材を受けたり、名古屋の中学校が文化祭に向けて取り組んでくれるのをお手伝いしたり・・まだまだ『桃の実』の展開は続く。 女学生の衣装は次の出番に向け小休止。大分擦り切れてきましたね。お疲れ様。(Y) #
by mokelembembe
| 2010-07-20 13:16
今回の全国ツアーを企画したきっかけが、長崎の電鉄OB・和田耕一さんとの昨夏の再会だったから、和田さんには毎回一緒にご乗車、被爆体験をお話して頂いた。和田さんは、公演の貸し切り電車の発着「蛍茶屋」の営業所で65年前に被爆したのだ。・・・公演日が選挙に重なり、満席には届かなかったけど、皆様の応援で、和田さんと一緒に若い人達にもメッセージを伝えることが出来て本当に嬉しかった。 中学生はポカーンと口を開けて観ていた。多感な年齢だから、きっとたくさんのインスピレーションを得てくれたことだろう。 二日目は雨も降らず、無事旅公演は終了した。(あとは東京の追加公演一回のみ) 中国のお祝いで食べるという桃饅頭を、お世話になった大田さんから戴いた。可愛くて美味しかったー! 公演翌日、私は観劇してくれた子達の中学校に呼ばれ、一年生と3時間の演劇ワークショップを進行した。 初体験のわりに、先生も子供達も乗りが良く、なかなかの役者揃いで盛り上がった。最後に花束をプレゼントされ、嬉しくて涙が出そうだった。長崎の中学生は心が開いていて、生き生きしていた。先生も柔軟で、気持ちのいい学校だった。 その後船に乗り、19分で行ける伊王島に渡った。温泉で、さすがにくたびれた体をほぐし、夜は野生のタヌキ達と初対面。一夜で元気を取り戻したら、翌朝は島巡りサイクリングを決行。いつものくせで飛ばしすぎ、汗だくになった。(ゆったりしに行ったはず!?)誰もいないビーチを独り占めして、足だけ海水に浸かった。透き通る海水がひんやり、洗われる気分だった。 また船で大波止に戻ると、入院中で『桃の実』を観られなかったという音楽の先生(退院したて)と、観劇してくれたギタリストである息子さん、中学校に呼んでくれた山本先生が待っていてくれた。 港のオープンカフェで「歌っていいですか?」と、音楽の先生が自作の長崎ソングを3曲歌ってくれた。「稲佐山」「長崎バイパス」「ともだち」の歌・・・美術館でライブをしたというギタリストのマスダさんて方も、たまたま通りかかり加わって、突然のアカペラコンサート。何だか楽しい旅の終わりとなった。 全国各地で思わぬ出会いがたくさんあった旅!きっかけをくれた長崎は、魅力が尽きない街!!またどうか、ご縁がありますように・・・皆様ありがとうございました。(Y) #
by mokelembembe
| 2010-07-13 21:46
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