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モケレンベンベ・プロジェクト
by mokelembembe
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紅・黄・緑の葉っぱのおしゃべり

 秋は、体が冬の準備をするためか、何を食べても美味しいですね。
たとえ放射能汚染されているとわかっていても・・・

 2011月1月に、モケレンベンベプロジェクト主催の「お話聴こう会」を開いた。「チンチン電車と女学生」を原作とした私達の劇『桃の実』を茅ヶ崎の高校生達が演じてくれることになり、被爆体験を聴いたことがないということで、ピースボート地球一周で語り部をされた方々に稽古場へお越しいただいた。貴重な機会に一般参加者も募った。
 その質問の時間に、ある男性が「私には考えられないのですが、あなた方はなぜ汚染された物を食べたのですか?」と発言した。驚きのあまり黙り込んでしまった語り部の方々を見て、私は危うく「正しい情報も届かず、混乱した状況を想像してみて下さいよ!?」と叫びそうになった。しかし私は女学生を演じる体験をして当時の様子を少しは想像出来たけど、この男性には当事者として考える機会がなかったのだろうと気を落ち着かせた。
 しばし沈黙の後、広島で親戚を探して入市被爆された女性が呟いた。「なぜって、お腹が空いていたから・・・」
チェルノブイリ原発周辺に住み続ける人の言葉と同じ。「なぜ汚れた水を飲むかって、喉が渇くからだ。他にどうしろというのか?」

その後お話聴こう会から二ヶ月も経たないうちに、大震災と福島原発事故が発生し、私達も明らかに被曝させられている。放射能は目に見えないから、少なからず汚染されている物を確実に食べてしまっている。
何故って、生きてる限りお腹が空くからだ。

 現在我が家では、福島の農家さんから、月に一度野菜を購入している。県内でも低線量らしく、品物を測定した記録を同封してくれる。この野菜達が、とても美味しい。それは無農薬で丁寧に育てられた野菜だからだ。
 「福島から野菜を取り寄せるなんて!?」と知人は驚いたが、「高線量の物を知らずに食べさせられる方がよほど恐ろしいよ。」と言い返すと、確かにね。と考え込んでしまった。 その知人が悪い訳じゃない。むしろ正しい。考えないふりをせず怯えるべきた。怯えて、しっかり調べてすべてを公表し、出来る限りの対策をすべきだ。 しかし、食品の汚染は今や放射能だけではない。

 薬漬けのような材料を使用して、世界中のどこにも支店を広げている、あのファーストフード。一ヶ月食べ続けたら死の淵まで追いやられるという危険な食べ物を、毎日子ども達が食べさせられていることも私には恐ろしい。ランチタイムに長蛇の列を見る度、幼い子を連れた若いママが多いことに頭を抱える。
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北陸の親戚からお歳暮に、大きな魚が送られてきた。私も若いママの頃は一匹おろすのに3時間もかかり、グチャグチャで温かい刺身しか作れなかった。それが最近は随分手際が良くなった。物凄い形相の魚をおろしてみると、舌の根に大きな釣り針が埋まっていた。あまりの痛さに飲み込んだのだろう。想像しただけで痛そうだ。
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自由に海を泳いでいた魚は、私達に食べられるために殺されたのだ。と思ったら無駄にはできない。魚の目が睨みつけているように見えるが、私はその目玉さえしゃぶり、あますところなく食べる。魚だけでなく、何ヶ月も風雨に耐え育った米や野菜の命も「ありがとう。ごめんね。」といただきながら、精一杯生きていくしかないのだ。(Y)
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# by mokelembembe | 2013-11-24 18:47

いわし雲のぽっかりんこなつぶやき

 朝晩は、そわっと秋風が流れる季節になってまいりやした。暑い夏と共に『魔法の森』ツアーも、ホッと一息ついた。
昨年の七夕の夜、東京下町の小さな喫茶店からスタートした私達の旅は、個と個の出会いがつながって、1年余りの間に国内の北から南まで10箇所を巡った。大きな劇団や有名人なら屁でもない数かもしれないが、何の後ろ盾もない私達にしてみれば、奇跡のようだと思っている。

先日の鹿児島公演では、劇団時代の先輩の多大な協力のお蔭で地元の方々が温かく迎えて下さり、たくさんのお客様に恵まれた。予定していた市内での野外公演は、天候不良のため屋内に変更となったが、歴史ある建物は味わい深く、それはそれで良い雰囲気だった。

翌日は、市内から車で40分ほど山へ移動して「かごしま子ども文化の里」でのアートキャンプに参加。子ども達とワークショップで遊んだり、流しそうめんを一緒に食べたりしてから、日暮れ後、大きなせんだんの木の下で、たった2本のライトを当てて行なった。

プーとクリストファー・ロビンが魔法の森へ出かける場面では、初めてアクティングエリアを移動させてみた。足元には、ちょうど青草が生えていて「なめらかな緑の草に覆われていました。」というセリフにピッタリ!周囲の山々に、私達の声が反響し「まるでイギリスの、本物の魔法の森みたいだった」と何人ものお客様が言っていた。

終演後、大きなせんだんの木の枝に、最近住みついたというフクロウが停まっているのを見た人がいた。公演中も、上から劇を見下ろしていたかもしれない。実際、プーの物語にもフクロウは知恵者として頻繁に登場する。信じられないくらい、今回の劇にピッタリの場所で、演じていてもワクワクしてしまった。

それにもまして驚いたことは、40人以上の子ども達も最後まで楽しんで観劇してくれたことだ。「クマのプーさん」という本自体が、実は大人の童話だと感じていた私達は、今回の劇もどちらかといえば大人向けだろうと思っていた。もちろん、子ども達も一緒に楽しめると自負はしていたが、戦争の場面など、理解できないだろう言葉も散りばめてあるので「つまんない」と思われる場面があっても仕方がないと思っていた。

ところが、私達が劇に込めていた真のメッセージを的確に捉えてくれたのが、小さな子ども達であったことに本当に感動し、驚いてしまった。
キャンプも終わり、お別れの時にわざわざ私の傍に寄ってきてくれたまだ3年生くらいの女の子。「楽しい劇を見せてくれてありがとう。プーの本を見たいのに見ちゃダメ!っていう動きをしていたのが一番面白かった!」と言ってくれたのは、もう本当に、その場で泣き崩れそうに嬉しかった。

ハッキリ言って、その演技は誰も褒めてくれたことなどない場面である。それどころか、自分では表現するのに一番苦労した演技であった。なぜといえば、そのささいな動作がクリストファー・ロビンの心情そのものであり、この劇の重要な意味を表す瞬間だからだった。

そして他の場面でも、子供たちが自由に観劇している様子に、私達演者が教えられることがたくさんあった。
たとえば、戦争のことを語る場面で子供たちが笑って見てくれたこと。
戦争というバカバカしい行為を、私達は滑稽な動作で表しているけど、大抵「ここは真面目な場面だぞ」と構えて見るお客様が大半だ。
しかし、かごしまの子ども達はそこでも大らかに笑い声をあげ「あ~あ、人形が呆れて見てるぞ!」と声をあげた子もいたことなどは、メッセージをしっかりキャッチしてくれている!と驚かされた出来事だった。

全体を理路整然とした物語としては構成していないので、全国巡った中で、「まとまりがない」「よくわからない」と厳しい感想もあった。「もっと万人受けするような芝居を作った方がいいのではないか?」などの批判も。

でも最後に子ども達から「わかんない所なんかひとつもなかったよ!何回でも見たいすごーく面白い劇だった!」と言ってもらえて、ああ、魔法の森から遠くに居る人には伝わらないだけだったのかな?と思うことが出来た。
いつから人は、既成の枠に囚われて感性が鈍ってしまうのかな?
大切なことは、子どもに聴いた方がいいのではないか?と思った。
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きっと子どもは言うだろう。「なぜ大人は戦争するの?」と。(Y)
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# by mokelembembe | 2013-09-02 16:05

下町ダウンタウン

 『魔法の森』大阪公演は、お客様の数が目標の半分で赤字だったけど、実は大した痛手ではありません。身の丈にあった、シンプルなやり方でやっているので、なるべく経費がかからない工夫をしています。収入のことをちょいと横に置けば、あとは全部大満足!!の大阪公演でした。

 昨年、ユニットを組むにあたってフサヨさんと初めてじっくり話した時、最初の話題が「じゃりんこチエ」だった。普段関西弁で話さないフサヨさんが大阪出身と知って、(20年以上も前から知り合いではあったが個人的なことを紹介しあう機会もなかったので)驚いた私に「なんたってあたし、じゃりんこチエだも~ん!」とフサヨさんは元気に笑った。

 私は3年前に阪堺電車で公演した時、チンチン電車の発着駅だからか?天王寺周辺の雰囲気が自分の住んでる三ノ輪によく似ていると感じた。
その瞬間「昔、劇団の演出家が『じゃりんこチエ』を演ろう!と言ったことがあったけど、それはこういう街の暮らしを私が知っているからだったのか!」と、ふと気がついた。
帰ったら先輩(演出家)に会って、どんなプランだったのか聞いてみようかな!と思っていたが、全国ツアーを終え東京に戻ると、先輩は末期ガンで会話もできなくなっていた。写真を見せ旅の報告はしたが、入り組んだ話など既に出来なかった。手を伸ばしてくれて、しっかりお別れの握手をした。

 後で、先輩は下町大空襲の火の中を家族と逃げた少年だったと知った。下町の同郷とも言える先輩が『じゃりんこチエ』の芝居を作ろうと言ったのは、ふざけた考えではなかったのではないか?と強く思った。
今更ながら読んでみて「戦後の下町を描いた、意外と真面目な漫画なんだ」と知り、聞く耳をもたなかったことを後悔し、空の先輩に詫びた。

 電車の公演でも窓口を担って下さった松本工房さんから紹介されたお店、can tutku(ジャントゥトゥクー)は花園町にある。お店に入った瞬間「魔法の森にピッタリ!」と思った。お店の人たちも「大阪以外の人たちに貸し出すのは初めて。素のまま空間を生かしてくれるというのも望ましい。」と歓迎して応援して下さった。彼らもお店を稽古場にしてバリバリ演劇をやってる人達らしく、さっさと色々手伝って下さり本当にありがたかった。

 大阪に出かける数日前、フサヨさんが稽古にやって来て「私の生まれた西萩町ってのはさ、地名変更でもうなくなっちゃってるし、3歳までしかいなかったから覚えてもいないけどさ、何と!花園町ってのがまさにその西萩町なんだってさ!」とのこと。まったく本当に驚くべきご縁である。
そりゃあもう、きっと面白いことが起きるに決まってるよね~!?と大はしゃぎで大阪へ行った。

 ・・・ところが、まず第1回目の公演中、フサヨさんのスカートが落ちた。ファスナーの上げ忘れというささいなミスだったが、レズリーがいつになく挙動不審の動きをするので、クリストファー・ロビンとしても戸惑った。お客様にも事の次第がわかって、まあ大事に至らず笑顔で終演。ほっとした。

・・・が、そのあと晩の宿舎の鍵を受け取りに駅の向こうの「玉出」(パチンコ屋ではなくスーパー)へ出かけた辺りから、フサヨさんの様子がおかしくなってきた。

周りを行き交うのは、明らかに日雇いのおっちゃん達。酒や小便の臭い。車椅子の老人など。
「ヤンヤンというスタッフと待ち合わせ。」の約束。ヤンヤンてヤクザ?山田のヤンヤン?などと予想していたが、現れたのは小太りの穏やかな男性。少し日本語がたどたどしかったので、外国籍だろう。ヤンヤンは本名だったんだ!?ゲストハウスに案内してくれる道道、ヤンヤンは片足を引きずって歩いている。それを後ろからジーッと見つめているフサヨさんが、どんどん真剣な顔になっていくのがわかった。(先日ケガしました。とヤンヤン本人が言っていたが。)

 ゲストハウスは予想通り、レトロを通り越したような雰囲気。築60年以上とかそんな感じ。(もっとかな)私はここを見つけたとき、不潔でさえなければフサヨさんは「芝居のセットみたいだね!」と喜ぶと思っていた。しかし「清潔にはしてあるね。」と言っただけで、フサヨさんはますますテンションが下がって行った。

再び日雇いのおっさん達とすれ違い、夜の公演準備に取り掛かったが、小道具の留め具が突然ボキッと折れたり(プラスチック製なのでさすがに老朽化したのだろう)、あれがない!これがない!といつになくパニクっているフサヨさん。「西成マジックだよ~。怖いよ~。落ち着け~。落ち着け~。」と言いつつ落ち着きを欠いていた。

 夜の公演は慎重に演じたからか?妙に落ち着いた雰囲気で終わり、フサヨさんの親戚や幼い頃住んでいた団地のご近所さん方と飲んで色々お話した。
 その夜中、ゲストハウスで裸電球(懐かしい!)をつけたまま、フサヨさんは話し続けた。自分が「じゃりんこチエと同じ西成の生まれだと言いふらして家族に叱られたこと。今日その意味がやっとわかった。この街の裏側に悲しいこともたくさんあるんだろうなということが、風に当たって、体の芯がブルブル震えてどうにもならなかった。頭の記憶には無いけど、この古い建物とか見てDNAが感じてしまったんだろうね。ああ、いくつになってもわからないことばかりだと、教えられたんだろう・・・」

 私は襲ってくる眠気と闘いながら相槌を打った。「じゃりんこチエ」の街の話は人ごとではないからだ。翌朝、かっこいい二人のジジイがやっている喫茶店で280円のモーニングを食し(あまりに旨いコーヒーだったので一同おかわり!)、周辺を1時間も散歩した。
釜ヶ崎と呼ばれる辺りには日曜ということもあり、おっちゃん達が溢れ、拾ってきたような物を道傍に並べて売っていた。フサヨさんはまた怖がって「もう自分がどういう所で生まれたのかわかった。もう帰ろうよ。」と不安そうに言った。「みんな一緒にいるんだから大丈夫ですよ!」と、私はお姉さんのようになだめた。

 フサヨさんは本当に私より一回りも年上とは思えない。この可愛らしさが表現に生きているのだろう。
千秋楽は味わうように演じて終わった。
現実の「じゃりんこチエ」の街は想像してたより怖く感じたけど、フサヨさんは行けて良かった!と喜んでいた。

『魔法の森』を観た人の感想に「現実や過去、空想の狭間で夢を観たような気持ちになった。」というのが多い。私達自身も、この作品と旅をする中で時間旅行も楽しんでいる。(Y)
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# by mokelembembe | 2013-05-23 17:21

ぷかぷかの一日!

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早朝バイトの後、横浜の霧ヶ丘団地にあるカフェ+ベーカリー「ぷかぷか」3周年のお祝いへ。
カフェのランチは美味しいパンが食べ放題!?でも欲張ると眠くなって出し物出来なくなっちゃうから、腹八分目。おや?ぷかぷかカフェにもプー発見。ここでも子供達に抱きつかれているらしい。プー、お疲れさん。そして馳走様!

2時からお店の前でイベント。まずは、ぷかぷかで働く人達の発表。バンドや「ふきのとう」の語りなど芸達者揃い!20年以上前の教科書を覚えていたという、つじさんの記憶力や表現力には、役者も脱帽・・・
こんにゃく座の相原さんの素敵な歌の後、私がトリ!?昔、店長の高崎さんが養護学校の先生だった頃、横浜瀬谷の地域住民で「あそぼう会」を結成して演劇ワークショップ主催していた。私は黒テントの先輩達と時々行って進行役を手伝っていた。その時やった紙芝居「ちゅうたのくうそう」が見つかったので、今回はそれを披露した。
私の出番で暴風が吹いてきて、紙を押さえるのに必死だったが、途中からパン屋さんにちゅうたから質問したり、ラストはカイマナヒラの替え歌「ぷかぷかパンのうた」を歌ったら皆楽しんでくれた。
「僕もネズミになりたい」と言い出した店員さんに、劇で使ってネズミ耳をプレゼント。
他の店員さんにはサインを求められ、芸能人のような達筆サインを書いてあげた。
私はサインを求められたことは数えるほどしかなく、突然頼まれるから普段より下手な字になってしまう。ちょうど先日、小学生時代の夢ノートを見つけたら、サインがたくさん書いてあったから(スターになるかもと思っていたのかな)、その一つを書いてあげた。

気持ちのいいお祝いイベント楽しかった!次回は5周年かな!?

夕方はフサヨさんと及ちゃんと三人で、大塚まさじさんのライブへ♪
初めてのフサヨさんは唖然。「面白い歌い方。」
聴いてよし!見て楽し!の素敵な演奏に、元気を分けていただいた。

アンコールには「ぷかぷか」の歌。こちらはタバコのぷかぷかだけど、爽やかなライブだった。

まさじさんにもパンのお土産を。「ぷかぷか」繋がりにまた笑顔が浮かぶ!
なんだかほっこり、久々にぷかぷかの一日だった。(Y)
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# by mokelembembe | 2013-04-27 00:23

春風に舞う砂埃にまみれながらの呟き

 東京大空襲(付随してそれ以前に下町が破壊された関東大震災のこと)、東日本大震災(正式名称は違ったかな)を忘れるわけにはいかない自分の誕生日を迎えた。たくさんの命が奪われたことと、自分が存在していることは切り離せない。なぜ私が、今、ここに、生かされているのか?考えないことは出来ない。 
 
 思えば、子供の頃から自分の誕生日はそんなに絶好調だった日がない。その日に限って熱を出したり、物事が上手くいかなかったり、天候がよくなかったり。晴れやかな気分で迎えた誕生日など1度もなかった気がする。2年前は大震災の余震が東京でも頻繁に続いており、計画停電だの、食料や水、交通の混乱、そして原発の爆発があった。もう、自分の誕生日を祝う気持ちの余裕など無かった。
昨年は、ちゃんと祝ってやろうと均整院に行き、帰りに冷えた体を温めに入った温泉で、地球一周の仲間に遭遇するというミラクルな誕生日だった。今年は用事で忙しい日だったが、強風で歩くのもままならず、避難に入った喫茶店で小さなケーキがとても美味しかった。・・・

 40代後半にもなって、地位も名誉も財産も、れっきとした職業や肩書きさえも得なかった自分はおかしいのか?長年芝居をやってきたのに、そのことで食わないのはマズイことなのか?イラストを描いたり、書道を書いたり色々やっても収入を得ないのは愚かなことなのか?

今更そんなことにひかかっていたが、おや?おやおやおや?ちょっとまてよ。
よ~く想い出してみたら、私の人生の目標は、れっきとした「俳優と呼ばれたい」わけでもなかったし、いわゆる「イラストレーター」になりたいわけでもなく、書道の「先生」になりたかったわけでもなかったのです。

5歳の私は茶筒に顔を写し「私って面白い顔だなあ。そんで、こんな遊びをして喜んでいる自分が大好きだなあ。ああ、これから学校に入って大きくなっていくけど、私はずーっとこのままの気持ちで生きたいなあ。誰に何と言われても気にしないで、思い切り楽しんで、世界中に友達を作りたいなあ。そんで、長生きできたら子供が寄ってきてくれるような面白いおばあちゃんになりたいなあ!」と強く思った。それが本当の目標だったと改めて気がついた。

これまで、どうしてチャンスを逃してしまったのか?という場面が多々あったが、その都度どうやら5歳の決意に背いている気がしたようだ。今ちゃんと鏡を見つめてみると、私は自分を決して嫌いではない。他人が「そんなんでいいのか!?」などとイチャモンをつけようと、ちゃんと自分が面白いと思えるおばさんに成長してきているじゃないか。落ち込むのは、ありきたりの枠にはめようとする他人からの言葉にうんざりゲンナリするだけで、同じような考えの仲間に出会いたいなあという欲もあるからだ。

その話を夫にすると「それを肩書きにしたら?『おもしろいおばあちゃんになることを目指して生きている人』その方が、表現活動家よりもわかりやすいよ。」と言われた。
なるほど!たまにはいいこと言うね!?ってことで、それを肩書きにしてまた歩き出します。
寂しい気持ちが襲ってくるのは自力で補いつつ、面白い人と繋がって、できる限り面白く生きていこうっと!

私が乗っているトロッコは、手作りの専用レールをガタゴト走って行くのです。(時折脱線、または大事な物が飛び出して停ることもある)

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「いくら頑張っても世間の人にお前たちがれっきとした俳優と認められないのは、俺は本当に悔しい!」と言ってくださった、今は亡き役者の師匠(大好きな先輩)には申し訳ない気もするけど、きっと「ホントにバカで相変わらず面白いなあ。」と、笑顔で見守ってくれてるはずだと信じています。(Y)
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# by mokelembembe | 2013-03-14 14:32

現実と幻想の合間で・・・

 時々お世話になっている均整院に体を整えてもらいに行った。すると「今までで最悪の状態」と言われた。えーっ?おかしいなあ!?今年は何だか元気な気分なのに?

先生曰く、体が疲れて代謝が悪くなり、固く凝るのは呼吸が止まっているから。人は緊張すると息を止めて頑張る。それが続くと体がカチコチに固まってしまい、色んな体液の流れが滞る。凝ることで「少し休みましょうや」と教えてくれている。
それなのに、自分の体の叫びを無視して突っ走るのは危険!そのうち自爆しますよ!頭と体が一致して「疲れたなあ」と言ってる方がまだいいですよ!と厳しい言葉を浴びせかけられた。
叱りつつも凝りを丁寧にほぐしてくれる先生の手は温かかった。それも「あなたの体が冷え切っている証拠。自分をもっと温めてあげて。」と言われた。もしかして、私は自分を責めていたかもしれないと気がついた。

 昨年の暮れ、かつて『桃の実』路面電車公演全国ツアーでお世話になった方々と、各地で久々お会いしてきた。どの方にも「あれ?あの公演はいつだったっけ?3年前?5年前?」と言われた。
「いえいえ、そんなに前ではありません。つい一昨年の公演でした。」と半笑いで答えた私・・・

どの人も、遠い過去のように感じられるのだな・・・それもそのはず、『桃の実』ツアーから数ヵ月後に大震災、原発爆発が起こり、広島、長崎の原爆について考えていた自分たちが、大きな被爆の渦に現実として巻き込まれたのだから・・・

全国ツアーの最中、自分でも異常と思うほど私は元気だった。何かにつき動かされるように、朝も夜も冴えていた。それは、もう二度とこんなことがあってはならぬということを、何とかして伝えなければという一心だった。よくわからないけど、私に与えられた「役目」を果たさなければと、必死だったかもしれない。

事故当時、折しも高校生達と『桃の実』に取り組んでいた最中だった。稽古場へ行くこともままならない状況の中、何とか行なった試演会で、原作者の小笠原信之さんが言ってくださった。「今こそ、この劇を傷ついている人たちに見せてあげたい。きっと力になれるはず。」だと。その小笠原さんも、昨夏亡くなった。

でもどうしたらいいのかわからず、未来のヒントを見つけに、地球一周に出かけた。
船の上では、事故があったばかりだったこともあり、原発に対する議論も盛んに行われたが、皆実に楽しんでいた。私はしばらく海を見て泣いていたが、ともかく今生きている瞬間を出会う人と楽しもうと思った。

その気持ちは船を降りた後も変わらない。どんなに不安でも、今出来ることを楽しむしかないんだと。
でもその一方で、自分の表現は、何の役にも立たないのだろうか?という重しがずっとあったのかもしれない。

「どうしてそんな風に思ってしまうの?ちゃんと評価してくれる人がいるのに。」と相棒は言う。でも私は、評価されたくて活動しているのではない。少しでも何か、マシな方向に世界のベクトルを向けたいのだ。人の個性、人の美しさ、人の命を殺すばかりの悪のベクトルが、更に行ってはいけない方向にばかりひね曲げられて行く。そのことに、無力を感じてくじけそうになっていたのかもしれない。ストレスまみれの空気に負けそうになっていたのかもしれない。

「このまま進めば、動けなくなるよ。体を大切に、これからもいい芝居観せてくれなくちゃ。」と先生は言った。
そういえば、先生はわざわざ深夜バスに乗って広島まで『桃の実』を観に来て下さったのだった。そして今でも均整院の壁に、全国ツアー成功!の報告書を我がことのように貼り出してくれている。私自身が、丸めて仕舞いこんでしまっているのに。

独りではないと感じる行為が演劇。現実と幻想を、多くの人たちと共有する、人間特有のちょっと変な行為である。そこの端っこにでも携わっている限り、孤独になってはいけない。道は細くても続いているじゃないかとあらためて感じた。(Y)
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# by mokelembembe | 2013-02-04 12:18

目覚めの歳?

皆様、おはようございます。・・・って、あれ?明けましておめでとう!じゃないの?とツッコまれそうだけど、何だか、頭のどこかが少し眠っていたようなのです。症状は、この数年間早起きが出来なかった。起きても、いつも眠い。頑張れるけどちょっとしんどい。湧き上がってくるような元気が出ない。今の時代、特別なことでもないけれど、軽い欝だったのかなあ!?それとも更年期?はっきりはわかりません。

それが今年に入ってから、なぜか朝早く起きられるようになった。早起きすると頭が冴えて、物事が順調に運ぶ。昨年は、具合の悪い人のサポートの仕事が色々舞い込んできたけど、年末からお呼びがかからなくなり、どうすべかと思っていたのが、年明け両親からすすめられた近所の新装オープンするスーパーのバイトに気軽に応募してみたら、すぐ雇ってくれた。

大体スーパーは、土日どちらかかならず出勤が条件とか、周5バッチリ勤めてくれる人しか雇ってくれないのに、平日3日でもOKしてくれた。モケレの活動を主に考えると、私はそういう条件でしかバイトはできない。お店の人たちも温かい人ばかりで、発見がたくさんあり、爽やかな気分で働ける。

先日は、雪の積もった道を30分かけて研修先まで歩く自分を「元気に生きている。昨年までは一体どうしちゃっていたのかなあ?」と思った。表面的には元気に活動していたし、大好きなフサヨさんと『魔法の森』をつくったり、ハポネタイへ行ったり、素敵な出会いも盛りだくさんだったのだけど・・

『桃の実』を演じた頃からだろうか。ずっと考えてきたことが常に課題としてある。持続可能な世界をどうしたら子供たちに引き継いでいけるか?このことを、ずっと考え続けている。
戦争という愚かな行為をなくし、悪魔たちの稼ぎ道具「核」も葬り去る世界に向けていくには・・・?

3・11より前に、コツコツ貯めた自分のお金で実験の家を買おうと考えたが、具体策が詰められなかった。おまけに不動産を見ていた地域が津波で流された。この際ヒントを探しに行こう!とその貯金で地球一周の船に乗り、すべて使い切った。

昨年は、また働こうとしたら人助けの歳になった。そういう年回りなんだと理解して、僅かな謝礼をいただきながら目の前のことに取り組んできたけど、どうやら変に頭でっかちになっていたのかもしれない。考えてばかりで、動きが足りなかったのかもしれない。・・・ということが、久々のバイトをして気がついた。

スーパーの野菜は、私は普段あまり買わないけど、関わってみると逆に見えてくることも色々ある。世の中の回転を感じる。それで、ちょっと眠っていたかもしれないな。と気がついた。


表現の可能性が、もっと多様であることを知らない人たち、また日々ストレスまみれの生活で、頭を使うことに嫌気がさしている人たちが、非日常を感じさせてくれる華やかなものしか求めないという、それだけの理由で何も考えず発する言葉にも、若干ゲンナリしていた部分もあった。「王道じゃない」とか、バカバカしい・・・
だけど私の目標とズレているのだから、ゲンナリすることの方がバカバカしかったのだ。


私は地に足をつけてまた行動しよう。落ち着いて考えることが出来る人たちと繋がって、賢く生きる道を探す。
ただ一筋の強い光を辿って淡々と進むのだ。

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朝の空気吸って久しぶりに覚醒している感じでござんす!(Y)
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# by mokelembembe | 2013-01-17 18:56

虹の戦士!?

昨年、地球一周の船旅をしてきてから、人の縁のめぐり合わせの回転が速くなっている気がする。

更に、はるか遠い遠い過去の、先祖の?、現在の国家とか遥かに超えた歴史の奥深くのことまで想像が膨らむようなことに出会うのは、私にとっての船旅の意味が、まさに「日本人に生まれた自分は何なのだろう?何を目指して生きればいいのか?」という疑問のヒントを探求しようとしていたからなのかと気がつく。

具体的には、なぜ近親者に戦死者なども見当たらなかった私が、近年戦争に関わる芝居をすることになったのか?また一方で、なぜアイヌの世界に触れ、自分のルーツを探して両親と翻弄したのに、はっきりしたことは分からず仕舞いなのか?私のアイデンティティは表現者であることしか見つからない。

昨年震災で原発が爆発し、隠されていた問題が一般市民にもやっと露呈した。原発=原爆→戦争・破滅であることも。核の原料ウランの採掘所では、世界の先住民族が闘ってきたことも。また、続く差別の中で、被爆労働に追いやられる下請け労働者の中に、きっとカミングアウトしていないかルーツを知らされていないアイヌもたくさん混じっているのであろうこと、傷ついても死んでも静かに闇に葬られていることも・・・

私は若い頃はこのような問題に立ち向かっていない気がしていたけど、今思えば、とっくに取り組んでいた。
障がい者と呼ばれる人たちと演劇を作ったり、フィリピンの貧しい暮らしを一緒に見学し芝居にした年上の仲間が書いた反原発の朗読を、二人でガラガラの観客の前で行ったのは10代の頃だった。数年後主婦になってからも、フランスの核実験の反対署名を一人で集めて回ったりしていたのだった。

子育て中、活動を控えおとなしく暮らしていたかのような期間でも、常に怒り、考え続けていたのは、社会の人間関係のあり方、無関心、人間性の欠如、自然環境破壊に対してだった。
そして、それに負け、巻き込まれ怠惰になる自分自身に対しても、常に怒りを覚えていた。

悪の問題は繋がっている。
悪循環の連鎖を断ち切るために、色々試行錯誤してきたものの、無力感に打ちのめされ、精神を軽く病んだのち、前向きに生きようと始めたのが、ささやかな演劇の再開だった。

それが、思った以上に広がって、戦争や民族を語るようになった。
何かに駆り立てられるように、数年休む暇もなく夫と、仲間を募り、夢中で公演を成立させてきた。
しかし根本的な疑問の壁にぶち当たり、広島・長崎の被爆者の方々の勧めもあり、一旦お休みして船に乗ってみることにした。

たくさんの人と話し、友達も増えた。世界は本当に丸くつながっていて、ひとつだった。
貧しい人の力強い暮らしぶりに感動、何よりその澄んだ目は美しかった・・・

日本に帰ってからは、また更に思いもよらなかったアイヌの森の演劇WS進行役が待っていて、20数年ぶりに古巣の劇団の手伝いをしたり、フサヨさんとの再会で『魔法の森』という劇が誕生した。

今年も立ち止まる暇もなく日々が過ぎた中で、楽しいことも素晴らしい人も繋がっていることを知った。

また一段落したところで「モケレの公演を観て、自分がアイヌだと気がついた」という友人に再会した。
ゆっくり話した別れ際、アトランティスの本を勧められたので読んでみた。
大西洋に沈んだアトランティスの末裔が、世界のあちこちに散らばっているそうだ。イングランド、アメリカ大陸、アフリカ・・・

続いて、ふと家の本棚に前からあって読んでいなかった「虹の戦士」に手が伸びた。
アトランティスの本と同じメッセージが書いてあると思った。

動物と対話ができ、木が好きで、人が好きで、虹が好きなのは・・・
そうか、自分のルーツをずっと探していたけれど、インディアンなのかもしれないな。
そういうことにして、引き続き元気に活動していこう!と素直に思えた。

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だって私は、モケレンベンベ=虹とともに現れるもの!をずっと作り続けているのだから。(Y)
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# by mokelembembe | 2012-11-15 16:58

2012.8.3国会前デモのヘンテコ話

昨日のデモ、人手が足りないし、ピースボートでお世話になったタムさんからの呼びかけだったし、ちびっこを保育園に迎えに行く仕事がキャンセルになったしで、誘導ボランティアを初めて手伝った。

いつも一緒にデモ参加していた幼なじみは「個人で参加するのと立場が違うから危い!」などと言って来てくれなかった。

危険は感じなかったが、腕章をつけて立っているだけで、色んな人が話しかけてくる。
「お疲れ様」と冷たい保冷剤をくれる人や「今日の警察はひどいね。いじわるに税金使いやがって!」とか。

ひとりの自転車に乗った青年が「警察はやり方変えてますね。よし!」と言ったかと思ったら、警察官の塊に近づいて行って、「おかしなことはやめろ」などと説得している様子。
警官たちがイライラし始め、なんと道端で服を脱がせた。彼は何も持ってやしないのに、裸にされた。ひどい。

そのうち解き放たれて、彼は自転車で国会の周りを回り始めた。そうか、車道は止めていないのだ。
(前回、タムさんはタクシーに乗ったら、官邸前に難なくつけてもらえたらしい。ということは、歩道でブロックされても、タクシーに乗れば皆行けちゃうってことだ!?)

ほかにも自転車で抗議している人たちがいる。
彼は何も持たず無言で、汗だくで何周もするうち、叫びながら運転する浪江町の軽街宣車と並走した。
無言のまま、浪江町の車を応援しているのが見ていてわかる。

静かに感動していると、ひとりの警官が助けを求めてきた。何事かと思ったら「納得してくれないんです!」と何回も叫んでいる。「落ち着いて。何を納得しないだって?道を通さないってこと?」と聞くと「そうなんです。」と指刺したその先に、5~6人の警官に囲まれて憤慨するおじさんが一人立っていた。
(果敢なおじさんだ!)

呆れて「そりゃ~、納得はできないですよねえ~。」と私が言うと、ハッとした後、がっくり肩を落として「じゃあ、いいです。」と、元の位置に戻って行った。

8時に近くなった時、デモに加わっていいですよ。と言われたので、私は腕章を外し、すました顔をして官邸前方向にずんずん進んで行ってみた。国会裏交差点で、警官が大勢並んでブロックしている

その向こうに数人歩いている人がいたから「通れないといっても、あっちにいる人は何なの?」と聞くと、手の指をフレーム型にして「あの人たちは、ちゃんと通行証を持った、ちゃんとした議員さんなんですよお~。ちゃんとした議員さんしか、あっちには行けないんですよお~。」とクネクネした動作をしながら、なぜかメチャクチャ笑顔で言った。

「あなたのような、どうやらちゃんとしてない人間とはレベルが違うんですよお~」と喉まで出かかっていたのが見え見え。
あまりに大げさで可笑しな態度に、私も手をフレーム型にして「ほおお~!ちゃんとした議員さんね~!?」とまねっこしてやったら、警官は呆然としていた。

通せんぼされた所で抗議の先頭に居たタムさんに呼び止められ、私も列に加わった。「原発いらない!」「子供を守れ!」と叫ぶのを、警官たちは困惑した表情で聴いていた。

8時を回って集合場所に戻り、私が他のボランティアの人に「お疲れ様」と声をかけたら、道を分断していたコーンなどを片付けていた警官が笑顔で、「あ、お疲れ様~!」などと返事してきた。おめえに言ってねえよ。

今回、ほんのお手伝いをしただけで、これまでと違ったものが色々見えた。
苦笑するしかない、なんともお粗末な、この国の状況。こんな間にも、原発で過酷な労働をさせられている人たちがいる。仮設住宅で、窮屈な想いをしている人たちがいる。恐怖から逃れられずに苦しんでいる人たちも・・・

こんなバカバカしい日々をとっとと終わりにして、皆が賢く暮らせる日を、そういう方向に進んでいける時を一刻も早く迎えたいと心から思った。
次の大地震が来る前に。私の命があるうちに。自分には小さなことしかできないけれど・・・(Y)
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# by mokelembembe | 2012-08-04 14:29

食べた飲んだ地球一周・7

グアテマラ・プエルトケツァル港にて。心待ちにしていたコーヒーを飲む!私は数あるコーヒー豆の中で「グアテマラ」が大好きなのだ。だから、本場で飲めるということは夢のようだった。しかも、旅中なかなか美味しいコーヒーに巡り会えなかったから、たった2$で大きなカップに波波と注がれた「グアテマラ」コーヒーを飲んだ瞬間、パラダイスだ!と叫びたいくらいだった。葉巻を買ったら無料でもう1杯注いでくれて、つまり1杯1$ということじゃないか!?幸せでお腹がガブガブになった。
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午後は古都アンティグアへ。チョコレート発祥の地というから、カフェでチョコレートケーキを食べた。まいうー!
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翌日は小学校で、子ども達と交流。手作りの給食。チキンのグリーンカレーみたいだったが、辛くなかったよ。
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所変わってメキシコ・アカプルコ。港近くの100%naturalという店に入ってみた。はじめジュースが大きいなと驚いたけど、これくらい必要だと後でわかった。タコスとクレープみたいのを食べたけど、青トオガラシが超辛い。味覚を感知する脳が分裂したような状態になり、一方は「おおお辛い~!」とのたうち回るも、一方は「あら、美味しいじゃない?辛さだけじゃなく、ちゃんと他の味覚も感じなよ。」と対決しているようだった。果物は体を冷やすというけれど、ジュースを飲むと燃えた舌が一旦落ち着くので、すごい威力だなと思った。
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夜はメキシコ・プロレス「ルチャリブレ」観戦に繰り出した。試合会場で、たった1$のコロナを買う。日本の何分の1の値段だろう。確か、安売りの酒屋でも360円くらいしたような。
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最後は、ハリケーンの過ぎ去ったマンサニージョにて、またしてもピスタチオ・アイスクリーム。妙にキレイなグリーンだけど、味はイタリアの方が美味しかったなあ・・・
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これにて、食いしん坊の地球一周はおしまい~。(Y)
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# by mokelembembe | 2012-08-03 14:58


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