先日またチャリンコで図書館に行ったら、煉瓦塀の所にスーパーが完成していた。塀は二カ所に切断されて、一応文化財としてチョロと残されていた。
スーパーの会社の人達なのか?数人のスーツ着た人皆が、笑いながらペシペシと煉瓦塀を叩いていた。どういう意味の笑いなのかな。
確かに、塀というよりつい立てと仮した煉瓦塀が、そこに存在していることが最早滑稽にも見える。
今までここを通る度、軍服を作っていた所なんだよな・・と煉瓦塀から漂う年月の重みを感じていたが、明るいスーパーに変身した途端、重みは感じない。
それはよいことなんだろうか?
そういえば、今年の旅で高知の山ちゃんのお母さんにお話聴かせて貰ったが、何と!戦時中お兄様が、この煉瓦塀の軍服工場で働いていたそうだ。何度かお兄様に会いに来たとか。高知から!
(当時は移動も大変だっただろうに)
これも、煉瓦塀が現存しているからこそ私も「うちの近くのあの場所ですね!?」と聴けた話である。わずかながらも、手がかりがあれば当時のことが想像出来る。市民の苦労や混乱ぶり、戦争のアホらしさも。
スーパーの名前がLIFE。前向きを勘違いせず、過去も見つめて真の意味でよりよく生きる方向に皆で進んで行けたらいいな、と願うばかりだ。(Y)